第 12 回

「伝え方」のあゆみ 【2】電気通信の発明

2023/12/28

担当:鶴橋 🐣

おつかれさまです、鶴橋です。

気が付けばあっという間に年末ですね。

アイビーシーでは年始の 1 月 5 日が有給奨励日となっています。ここをお休みにするとなんと✨夢 の 11 連 休✨を作れるんです!

私もせっかくなので北海道の実家に帰って牛と犬に会ってきます。

秋に生まれたばかりの子牛がいるらしいんですが、親がスマホ苦手なのでまだ写真でも動画でも見たことないんですよね。どんな子なのか楽しみです。

皆さんは年末年始をどんなふうに過ごしますか?


さて、前回からだいぶ期間が空いてしまいましたが、今回は連載の 2 回目となります。

(1 回目はこちら:デジマケ女子部 第 5 回「伝え方」のあゆみ 【1】視覚と聴覚の限界

「伝え方」のあゆみ 全 3 回予定

【1】視覚と聴覚の限界

【2】電気通信の発明

【3】インターネットの登場

本日は、電気を使った通信の発明の歴史をご紹介したいと思います。

合いの手は前回に引き続きコマツさん。

コマツです!
みなさん先日の『どうする家康』最終回見ましたか? 私は千姫様に胸を打たれてまだ立ち直れていません。大河ドラマって初めて最後まで見たけど面白いんですね。29日に総集編があるので全員見てください!! よろしくお願いします!!

よろしくね。みなさん良かったら総集編も見てあげてください。

電気通信

「telecommunication(通信)」の語源は、 tele(離れた) + communication(コミュニケーション)[*1]。離れたところにいる人とコミュニケーションをとるにあたり、その手段の進歩は「どれだけ早く伝えるか」がカギになっていました。

目視や音に頼る方法では伝達距離に限界があり、いくら頑張ってリレーをしても長距離を届けるのには向かなかったんですね。

そこで、より高速で・より多くの情報を・より正確に・より信頼性が高い状態で伝えることができる「電信機」の開発が盛り上がっていったのです。

電気通信の実験が開始されたのは 18 世紀。静電気や化学変化など、当時解明されていた電気の性質を用いた様々な電信機が次々と考案されました。

「電信」って、ただの「電気通信」の略ですか? それともなにか違いがあるんでしょうか?

ここで解説する「電気通信」は、「電気信号や電磁波(電波・赤外線・可視光線)等の電磁的手段により映像(動画)・音声・データなどの情報を伝える通信」のことです。

「電信」は基本的には「電気通信」と同じ意味で使われますが、その中でも特にモールス信号のような「ON と OFF」「白と黒」「0 と 1」等の 2 種類の符号で表現される信号のことを指すことが多いです[*2]。この記事でも後者の意味で使っていきますね。


次々生まれた電信機 [*3]

電気通信の実験が開始されたのは 18 世紀。静電気や化学変化など、当時解明されていた電気の性質を用いた様々な電信機が次々と考案されました。

■1753 年:静電気電信機(Scots Magazine への匿名の投稿)[*4]

各文字に対応した本数の電線を用意し、それぞれの末端にボールを吊るし、その下に紙を置いて文字(アルファベット)を書いておく。メッセージの文字の順番に送信側の電線の端を静電気発生器に接触させると、受信側のボールに紙が引き寄せられる。受信側にいる人は紙の吸い付いた順番を記録する。

■1809 年:電気化学式電信機(ゼンメリング)[*5][*6]

各文字に対応した本数の電線を用意し、受信側の端は一本一本ガラス管の酸に浸しておく。メッセージの文字の順番に送信側から電流を流すと、 受信側では管の酸が電気分解され、水素のあぶくを生成する。 受信側にいる人はあぶくを見つめ、発信されたメッセージを記録する。

■1832 年:電磁石式電信機(シリング)[*6]

送信機と受信機を 8 本の電線で接続し、送信側の操作員がキーを押すと、受信側で対応するポインターが反応する。キーは白と黒の 16 本あり、キーの組み合わせによって文字を表現した。

さて、これらの電信機ですが、開発がスタートしてから商業化に至るまでに 80 年ほどの時間を要しました。この当時は安定した電気を得ることが難しく、しっかりした実験や開発を進めるには 1800 年のボルタ電池の発明を待たなければならなかったのです。

そっか、電池もコンセントもない時代なんですね…。こんな時代に電気の研究をするって大変そう。

電気は当時注目され始めたばかりで活用方法も確立していなかったからこそ、いち早くうまい使い道を見つければ大きな儲けに繋がるという期待があったんじゃないでしょうか。昨今の AI の盛り上がりに似ていますね。


電信の商業化と普及

世界で初めて商業化されたのは、1837 年にロンドンで特許を取得したクックとホイートストンの電信機です[*7]

6本の電線で文字盤上の5本の針を別々に動かし、針が刺した文字をそのまま読み取る仕組みになっていました[*8]。これはコードが読めない人でも誰でも扱うことができ、また電線の本数が従来の電信機よりも少ないため長距離の敷設コストが少なくなる点が画期的でした。

のちに、より長い距離に通信経路を敷くために電線の数はさらに少なくなり、3 本の電線で 2 本の針を動かすものや、2 本の電線で 1 本の針を動かすものも開発されます。これらでは文字盤を使わず針の動きの組み合わせで文字を伝える仕組みで、針の数が少なくなった分、1 文字を表すために必要な針の動きは複雑化しました。

2 本針と 1 本針の図では、右に傾いた線は時計回り・左に傾いた線は反時計回りを表します。どちらの方向に何回針が回ったかを測定して、文章を読み取ったんですね。

難しいなぁ。当時の人はこのパターンを全部覚えて使ってたんですね。

覚えにくいよね。

この難しさを解決したのが、1837 年に開発されたモールスの電信機です[*9]

モールス電信機は電磁石を使用しており、文字や数字を dot (トン)、dash (ツー)の組み合わせで表現するモールス符号とともに 1840 年に特許を取得しました。

扱いやすかったモールス符号とモールス電信機は、先に商業化されていたクックとホイートストンの電信機よりも広く普及していきました。

うーん、こっちも難しいけど…さっきよりはマシなのかな…?


日本への渡来 [*10][*11]

1853年、アメリカ海軍の司令官ペリーが率いる4隻の黒船が日本の浦賀沖に来航しました。

このとき、黒船にはモールス電信機と付帯物の電線や電池などの一式が積み込まれていました。日本とアメリカの文明レベルの差を見せつけて開国を迫ろうとしたのです。

ペリーは横浜の応接所から約1km先にある住宅まで電線をわたし、エンボッシング・モールス電信機を使った公開実験を行いました。

応接所からは江戸(JEDO)、住宅からは横浜(YOKOHAMA)というメッセージが送られ、日本の人々を驚かせました。

これが日本で初めての電気通信です。

ここから通信技術はめざましい進化を遂げ、わずか 100 年で世界中の人々を繋ぐようになっていきます。

今回はここまでです。

次回はインターネットの発明と日本での広がりについてお話ししたいと思います。

今年の冬はコロナでしばらく鳴りを潜めていたインフルがまた元気になっているようですから、油断せずうがい手洗いをして楽しいお正月を迎えてくださいね。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

Good ボタン&コメントもぜひお願いします!

<参考>

[*1]GRASグループ株式会社.“テレコミュニケーションとは 「テレコム, telecom」 (telecommunication): - IT用語辞典バイナリ”. IT用語辞典バイナリ. https://www.sophia-it.com/content/telecommunication, (参照:2023-12-20)

[*2]株式会社DIGITALIO.“世界大百科事典 第2版「電信」”.コトバンク.  https://kotobank.jp/word/%E9%9B%BB%E4%BF%A1-102473, (参照:2023-12-20)

[*3]画像電子学会.“virtual[FAX]musium : exhibition (展示館)”.バーチャルファクシミリ博物館.  http://www.iieej.org/vfax/data/rekisi/reimei.htm, (参照:2023-12-20)

[*4].電気通信大学.“ミュージアムxライブラリ 連続トークイベント グローバル化する通信~腕木から5Gへ~ 第1回 電気通信の夜明け~電信と火花~”. UECコミュニケーションミュージアム.  http://www.museum.uec.ac.jp/archive/agola/%E3%82%A2%E3%82%B4%E3%83%A9%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E3%83%BB%E6%95%B4%E7%90%86%E7%89%88.pdf, (参照:2023-12-20)

[*5]Jones, R. Victor.“Samuel Thomas von Sömmering's "Space Multiplexed".Electrochemical Telegraph. https://web.archive.org/web/20121011042334/http://people.seas.harvard.edu/~jones/cscie129/images/history/von_Soem.html,(参照:2012-10-11のWayBackMachineアーカイブ)

[*6]住田潮.“世界をORする視線(2)第I部 通信・デジタル技術の発展 (1)電気通信網の確立”. オペレーションズリサーチ学会誌 2021年3月号. https://orsj.org/wp-content/corsj/or66-3/or66_3_181.pdf, (参照:2023-12-20)

[*7]松本栄寿.“連載 電気の世紀へ<瞬時の通信へ ②ホイートストンの電信>”. 計測技術 2004年8月号.  http://www.ksplz.info/+museum/matsumoto2/matsumoto10.pdf, (参照:2023-12-20)

[*8]TAL.P.Shaffner.“The Telegraph Manual”. D.Van.nostrand.  https://archive.org/details/telegraphmanualc00shafrich/page/n3/mode/2up, (参照:2023-12-20 Internet Archive)

[*9]TDK株式会社.“「デジタル通信は電信機から」の巻|じしゃく忍法帳|TDK Techno Magazine”. TECH-MAG.  https://www.tdk.com/ja/tech-mag/ninja/025, (参照:2023-12-20)

[*10]日本ガイシ株式会社.“第二章 ペリーが通信と電気の技術を日本に持ってきた|がいしの歴史|日本ガイシ株式会社”.がいしの歴史.  https://www.ngk.co.jp/gaishi-h/chapter2/, (参照:2023-12-20)

[*11]日本無線株式会社.“■第3回■電気通信のはじまり|JRC 日本無線株式会社”.お役立ちコラム.2023-02-02. https://www.jrc.co.jp/casestudy/column/03, (参照:2023-12-20)

 

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